伊勢原を愛してやまないバスティフキンが気になるあの人この人を訪問してきました。
降り立った先に待っていたのは楽しい出会いの連続。
いざ停車〜!

伊勢原の歴史を語り継ぐ

「雨岳文庫」(国登録有形文化財 山口家住宅)
山口匡一さん

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山口さんの後ろの襖に書かれているのが中島湘烟の書。

「雨岳文庫」とは、山口家の住宅も含めた、約2万点におよぶ歴史資料の総称です。

山口家の住宅は、1860年代に上粕屋の領主間部氏の地代官所として2年ほど使用されました。8代目の左七郎は神奈川県の自由民権運動の指導者でしたので、この家は結社「湘南社」の活動拠点となり、奥座敷には親交のあった中島信行・俊子(号は湘烟)の書も残っています。平成4年、湘烟の書を山口個人ではなく「雨岳文庫」の名で貸出したのが、雨岳文庫の始まりですね。

平成18年からは雨岳文庫を地域文化活動の“場”としても活用していますが、最初に開催したのが「大山道展」です。大山道とは関東各地から大山に通じる幾通りもの道のことで、大山詣が盛んになった江戸時代以降、たくさんの人が大山道を通って参拝に訪れました。ここ上粕屋は大山道の合流地点なので、この立地を活かして、観光にもつながる大山道の資料を展示したんです。

実は、平成15年ごろに参加した小田原の透谷祭で「伊勢原は小田原からみて東京に30分近い。その利点をどう活かすべきか」と話し合い、そこで挙がったのが“観光”だったんです。観光は環境をよくしますので、結果的には住民のためになりますね。

現在でも、住宅や資料館は歴史研究に活用していただいていますが、雨岳文庫の自然に恵まれた土地を利用して、青梅採り、竹の子掘り、お茶摘みなどの農業体験も行っています。私の家は梅干しの製造・出荷をしていますので、夏の庭は梅の天日干しで埋め尽くされますね。

私は小学生から伊勢原で育ち、大学・就職で東京に出て、その後伊勢原に戻りました。昔はよく、「国道246号や小田急線で東京から来ると伊勢原にだけ緑が見える」と言われましたよ。今は都市化で伊勢原の緑もだいぶ減ってきましたが、伊勢原の自然や歴史資料をできる限り保全して、後世に伝えたいと思っています。

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  • 伊勢原の魅力は?
  • 緑が多いところです。
  • 伊勢原のおすすめの食べ物は?
  • 幸水という梨はとてもおいしいですよ。

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山口家住宅主屋(国登録有形文化財)
天保5年(1834年)ごろの建築。代々伊勢原市上粕屋の旗本間部氏の家政を担当していた山口家の住宅は、1864年に旗本間部氏の地代官所として武家屋敷風に改装され、1869年に現地へ曳家中に幕府が崩壊して明治になったため、そのまま山口氏の個人宅として使われています。夏場には天日干しされた梅が庭いっぱいに広がり、季節の便りを感じることができます。

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山口家住宅主屋 広間(1階)
主屋にはお殿様(間部氏)の部屋や代官所の捕り物・火消し道具などが残されており、毎週日曜日は一般の方でも見学可能。土間と広間の中央にある太い大黒柱は、免震性能を備えた床下まで見ることができます。

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山口家住宅主屋 奥座敷の襖絵(1階)
『横浜湾の図』画:安田米斎・別号は香雨山房
代官所の役務室にあたる奥座敷へ続く襖には、相模大山(現伊勢原市大山)出身・安田米斎によって描かれた画が残されています。

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山口家住宅主屋 主室(2階)
2階にあるお殿様(領主間部氏)の部屋は凝った数寄屋造りで、床框(とこかまち)に波に千鳥(螺旋)や砂浜模様が施されています。

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雨岳文庫資料館
資料館には7代目山口作助の出府日記をたどる記録写真、大山山麗のジオラマなどを展示。入口には関東大震災前まで大山ニの鳥居に掛けられていた扁額が置かれています。

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大山二の鳥居
雨岳文庫のすぐ近くにある大山ニの鳥居は、昭和3年と平成3年に2度再建されましたが、「鳥居が建てば緑が残ります」という山口さんの言葉通り、鳥居周辺には季節の花が植えられ、大山の参拝者を出迎えています。

雨岳文庫(山口家住宅・資料館)

〒259-1141 神奈川県伊勢原市上粕屋862
TEL:0463-95-0002(山口)
開館日時:毎週日曜日10:00〜15:00
入館料:山口家住宅 300円 ※中学生以下は無料

雨岳文庫の歴史、資料についてもっと知りたい方はコチラ↓
http://www.ugakubunko.com